橿原神宮は、第一代天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と姫蹈鞴五十鈴姫皇后が祀られています。         
神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊がこの国土に降られた九州の日向国・高千穂の宮におられましたが、天壊無窮の神勅を承け、天下の政治を行うべくはるばる東遷の壮途に就かれました。  
そして国内を統一させられ、ついには大和の国を中心とした中つ国を平定され、国の墓を建てられました。          

その畝傍橿原の宮(神武天皇の宮)があったとされる畝傍山の東南・橿原の地に神武天皇の御聖徳を景仰して橿原神宮創建を請願していた民間勇士に感銘を受けた明治天皇の御聖慮により元京都御所の賢所と神嘉殿を本殿として下賜され1890年(明治23年)4月2日に官幣大社・橿原神宮として創建されました。
1940年(昭和15年)には昭和天皇が同神社に行幸し秋には紀元2600年奉祝式典が日本各地で挙行されました。近代の創建ではあるものの、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者が多い神社であり、現在でも皇族の参拝があります。

また勅使ご参向のもと紀元歳が行われる2月11日(建国記念日)や神武天皇祭及び奉祝行事「春の神武祭」が行われる4月3日にも各地より多くの参拝者が訪れます。
神武天皇は御年45歳で日向国をご進発になり、6年もの歳月を道中で費やされ、最後に大和国に入られて橿原に都を定められました。
その間実に言語をに絶する艱難辛苦を重ねられ、通常の人間では到底不可能と考えられる九死に一生を得られたという事は、随所に天神の御神助を得られたものに外なりません。    

 困難の末に大業を完成されましたことは、実に運勢強大なお方であったと言えるでしょう。
橿原の宮に即位されてより御在位76年日本建国の基礎を打ち立て、政治の根本を定められて127歳(日本書紀)の御長寿であられたか、と物語ると同時に延命と長寿を願う国民の理想を具現されたものと解されます。

現在の橿原神宮におかれましては、神武天皇の運勢強大と御長寿にちなんで日々、ご皇室の弥栄と国民の開運、延寿幸福を祈願されています。

国家の一大事という時、国の存亡を国民が意識した時には建国の日の苦しみを回想する事で興隆の原動力となってきました。    
過去の歴史を見ても、万葉の時代から神武天皇の日を思い、活力を自他の心に奮い起した例は枚挙にいとまがありません。     
明治天皇は明治維新に際しても神武創業に還る事を王政復古の理念とされました。    
終戦以降は、一時の占領政策により歴史の中に於いて幾多の神話が抹消されましたが、経済的に復興の兆しが見出された昭和29年、誰言うことなく名づけられた「神武景気」はたちまち日本列島に行き渡り、廃墟と絶望の中の国民に希望をもたらした記憶は戦後を経験した誰しもが持ち続けたものです。  

人心も混迷し、わが国の精華を忘れつつある現代。 
日本の興隆、人々の未来永劫の幸福を目指し、祖先の歴史に思いを致して心を奮い起し、新しい明日を築く為に日本人としての誇りを持ち続けたいものであります。